SRHR Initiative(研究会)旧SRHRライトユニット

Sexual Reproductive Health and Rights Initiative

連載:わたしのからだだから第1回 私のからだは私のものだから。

京都大学リプロダクティブ・ヘルス&ライツライトユニットでは、UNFPA(国連人口基金)の依頼で世界人口白書2021の翻訳協力を行いました。この翻訳を行う上で、白書の中で強調したい点や日本における性と生殖に関する健康と権利(SRHR)との関係についてコラム形式で連載します。

世界人口白書2021のテーマは私のからだは私のもの=Bodily Autonomyでした。
日本語版作成の中で、Bodily Autonomyについては様々に議論し、悩み、また議論しました。
日本に住む私たちにとってのBodily Autonomy について、ここでもう一度考えてみたいと思います。

私のからだは私のもの、とは

私のからだは私のもの。
あたりまえ?本当にそう?私のからだは、誰のもの?

部活で生理が止まるまで練習しろと言われ、本当に月経が止まってしまった。
彼好みのからだに痩せなきゃと思うと、自分のからだが嫌いになった。
セックスを断ったら嫌われそうで怖くて、痛いのを我慢していた。

あの時私は、自分のからだは自分のものだって、思えていなかったかもしれない。

身長や体格が小さいせいで、なんとなく逆らえなかった。
早く帰って子どもをお風呂に入れたいのに、仕事のやる気がないのかと言われ諦めた。
独身生活が楽しいのに、所帯をもたないと一人前ではないと言われた。

あのとき僕は、自分のからだは自分のものだって、思えていなかったかもしれない。

友達にキモいって言われるのがこわくて、好きなものを好きだと言えなかった。
周囲に期待されるふるまいが居心地悪いのに、浮くのがこわくてがまんしていた。

あのとき自分は、自分のからだは自分のものだって、思えていなかったかもしれない。

それでも、自分のからだは自分のもの。他の誰のものでもない。
私のからだは私のもの=Bodily Autonomyとは、自分のからだを自分で統治するということ。
周りからの圧力や強制ではなく
自分のからだとこころの声をよくきいて、自分がどうしたいか、決めたらいい。
私のからだは私物のだから、閉じ込めなくていい。
まわりに合わせて自分を透明にするよりも
自分のからだを大事にしていい。自分の気持ちを大事にしていい。

誰もがあたりまえに、自分のからだを自分のものとして選択していい。

私のからだは私のもの。一人ひとりの選択を応援しあう世の中を、つくっていこう。

私の、あなたの、Bodily Autonomyを考えよう

世界人口白書2021の日本語訳のなかで、Bodily Autonomyは日本語にしにくい言葉だと気づきました。

ある人類学者がいいました。1つのからだに1つの個人。西欧文化では当たり前のこの感覚。でも日本では、関係性の中に個が現れ出るという感覚を持っている人も多いのでは?だから、Bodily Autonomyが腑に落ちる日本語で表現しにくいのでは?

それでも、私たちは近代社会の歴史の中で、Bodily Autonomyを勝ち取ってきました。
お国のために命をかけて兵士にならずともよくなりました。
家のために嫁入りするのではなく、ひとりの人間として結婚するかしないか選べるようになりました。
医療の場面でも、患者は自分の治療についてよく理解して納得してから治療方法を選択するのが望ましい、ということが当たり前になりました。

いずれも、先人たちの努力によるものです。

一方で、まだまだBodily Autonomyが支援されていない場面もたくさんあります。

性暴力や避妊、中絶などにまつわる法律や制度は、不十分なところが多いですし、学校教育でも包括的性教育という個人のからだと人権の尊重を教える授業がどこでも受けられるわけではありません。労働や賃金にもジェンダー格差がありますし、映画や小説、漫画や音楽でも、Bodiliy Autonomyが尊重されないあり方が望ましいもののように描かれていることがたくさんあります。

まだまだ、子どもは大人の所有物のように扱われることがありますし、誰かの所有物のように扱われている大人もたくさんいることでしょう。

いま、あなたが自分のBodily Autonomyを意識することで、何が変わるのでしょうか。
いま、あなたが親しい人のBodily Autonomyを大切にすることで、何が変わるのでしょうか。

一緒に考えましょう。

執筆:池田裕美枝(京都大学医学部附属病院産婦人科)
   北奈央子(株式会社ジョコネ。)

投稿:2021年06月30日